アングロ・サクソン時代でも中世でも 《イギリス・女性・教育》

妻は夫に仕えるものとみなされ、妻は夫に対して温順であるべく期待された。

中世の立法者やモラリストは、女性は男性より本質的に劣ったものとみなしたが、この見解はなによりも聖書に基づくものとして強化され、19世紀までの女性観の主流をつくりあげたのである。

キリスト教的女性観は、とりわけ、女性が男性のために造られ、原罪の源は女性にあるとするパウロの教義によって武装された。

それでも、中世の女性は家族のなかで彼女自身の権威を有していた。

富裕階級の女性ですら、菜園の管理や食事の準備、家事全般をつかさどらなければならなかったし、召使いの監督や育児に従事した。

中世の女性の主たる仕事は糸紡ぎや刺しゅうであったが、15世紀ごろには若干の女性は、商人としてまたギルドの成員として行動したり、居酒屋の女主人であったりした。

また地主貴族の女性は所領や爵位を相続することができたし、教区委員として行動することもできたので、チューダー朝時代には、イギリス女性の享受する自由が外国人に羨望視されたりもした。

だが、スチュアート朝時代、またピューリタン革命の共和政下に、女性の隷属はふたたび強化されたのである。

中世以降、女性は主として社会的・経済的理由のために結婚し、彼女らの結婚は両親によって取り決められた。

富裕な女相続人は、財産であり、投資の対象とみなされた。

法律上、未婚女性あるいは寡婦は男性と同じ地位を有していたのに対して、既婚女性は婚姻期間を通じて法的人格を夫の人格のなかに併呑されて、財産権も子供に対する後見権ももたなかった。

女子の学校教育は17世紀に始まり、次の世紀にはブルー・ストッキングの出現をみた。

だが、結婚が女性にとっての唯一の前途とみなされたがゆえに、女子教育は、たしなみと礼儀作法の訓練に大いに強調が置かれていた。
update:2010年02月24日