日本の近代化と食文化の変化

江戸時代後期から江戸などの都市部ではももんじ屋における肉食が一部で流行していたが、明治期に入ると、日本の食文化は西洋の食文化に栄養面で劣っており、日本人の体格を向上させ健康を促進し、ひいては国力を増強(富国強兵)するためには西洋的な食品、特に肉類や乳製品の摂取が不可欠であるという考えが主流となった。そして、この時期の文明開化の機運に乗って、仮名垣魯文の『安愚楽鍋』における「牛鍋(うしなべ)食はねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」のくだりは広く人口に膾炙した。これに従い、神道の宗教家の反対にもかかわらず明治天皇が肉を食べ、昭憲皇太后が牛乳を飲むなど、国家の元首自ら国民の模範となった。さらに、廃仏毀釈の影響も伴って日本人は家畜類も食用とするようになった。まだこの時代には魚類も肉も頻繁には食べられていなかった精進料理の思想では、「より高い精神性を獲得する(=精進する)ために、菜食を主体とした食事をとる」という面で、原義のベジタリアニズムに近いものを持つ。
update:2009年09月04日